「ちゃんと歩こうね」
散歩中に立ち止まって電柱を嗅ぎ続けるわんにょむに、私はずっとそう声をかけてきました。
ある研究を読んで、その「ちゃんと」が、この子から何を奪っていたかを知った日のことを書きます。
散歩中、立ち止まって動かなくなる時間が、ちょっと苦手だった
うちのわんにょむは、散歩中にやたら立ち止まる子です。
電柱、街路樹の根元、誰かが落とした葉っぱ、自販機の角。 そういう場所に行くたびに、鼻先を地面につけて、何分でも嗅ぎ続けようとします。
私はちょっとせっかちなので、つい、こう言ってしまうことが多かったんです。
「ほら、行こう」 「もう十分でしょ」 「ちゃんと歩こうね」
リードをやさしく引いて、次の場所へ移動する。 わんにょむは、ちらっと振り返って、少し名残惜しそうに歩き始める。
そんな散歩を、たぶん毎日、何百回と繰り返していました。
私の中では「散歩=運動」「歩く距離が大事」というイメージがあったんです。 立ち止まって嗅いでばっかりだと、距離が稼げない。運動にならない。 だから「ちゃんと歩こうね」と急かしていた。
それが、悪いことだなんて、思ったこともありませんでした。
カフェの常連さんが、散歩について話してくれたこと
ある日、カフェに来てくれたシニアの常連さんが、こんな話をしてくれました。
「うちの子、もう12歳でね、最近は散歩がほとんど『嗅ぐ会』みたいになってるんですよ。 歩かない、ずっと匂いだけ嗅いでる。最初は『運動になってない』って心配したんだけど」
その方は、コーヒーを飲んで、ちょっと笑ってこう続けました。
「最近、ある記事を読んでね、嗅ぐ時間も大事だって書いてあって。 それから帰ってきたら、その子、なんか機嫌がいいんですよね。 帰宅後の落ち着き方が、前と違うっていうか」
そのお客さまが帰ったあと、その言葉が、ずっと気になっていました。
うちのわんにょむも、私が「ちゃんと歩こう」と急かしているとき、たぶん何かを取り上げられている感覚があるのかもしれない。
帰宅後のわんにょむは、いつもちょっと落ち着かなくて、しばらく家の中をうろうろしてからやっとクッションに丸まる。 あれは、散歩で満足できていなかったサインなんだろうか。
(散歩って、なんのためにあるんだろう)
そんな問いが、その夜、頭の中に残っていました。
「嗅がせた犬は、楽観的になった」と書かれた、ある研究
その夜、わんにょむが寝てから、検索バーに「犬 散歩 嗅ぐ 福祉」と打ち込んでみました。
たどり着いた研究の話に、軽く驚きました。
研究者たちは、ある実験をしたそうです。
まず、犬たちに「認知バイアステスト」というものをやりました。 これは、犬が「曖昧な状況」にどう反応するかを測るテストで、ざっくり言うと「いいことが起きそうな場所」と「悪いことが起きそうな場所」のあいだの曖昧な場所に近づくスピードを測るというもの。 近づくのが早ければ、その犬は「いまの気分が楽観的」、遅ければ「悲観的」と判断できる、と書かれていました。
次に、犬たちを2つのグループに分けて、2週間、毎日違う活動をさせたそうです。
- グループA:ノーズワーク(おやつを隠して匂いで探す活動)
- グループB:ヒールワーク(飼い主の隣をちゃんと歩く練習)
2週間後、もう一度、認知バイアステストをやった結果——
ノーズワークをした犬たちは、曖昧な場所に近づくスピードが明らかに速くなったそうです。 つまり「楽観的な気分」になっていた。
一方、ヒールワークをした犬たちは、変化なし。
——「ちゃんと歩く練習」じゃなくて、「ちゃんと嗅ぐ時間」のほうが、犬の気分を整えていたんです。
しかも、研究者の方たちは、こう書いていました。
飼い犬は、自分で活動を選ぶことができないという意味で「captive(飼われている)」状態にある。 嗅ぐという、犬本来の探索行動を発揮する機会を奪われると、福祉が損なわれる可能性がある。
「captive」という言葉が、ぐっときました。
うちのわんにょむは、毎日のスケジュールも、散歩のコースも、おやつの時間も、ぜんぶ私が決めている。 そのなかで、唯一「自分で何かを選べる」のが、散歩中に「立ち止まって嗅ぐ」時間だった。
それを私は「ちゃんと歩こうね」と取り上げていた。
しばらく動けませんでした。
散歩のルールを、ひとつだけ変えてみた
次の朝の散歩で、ひとつだけルールを変えました。
「わんにょむが立ち止まって嗅ぎ始めたら、5を数えるまで動かない」
立ち止まったら、私はその場でスマホを開かず、空を見上げて、心の中で「いち、にい、さん、しい、ごう」と数える。 それから、わんにょむがまだ嗅いでいたら、もう一度「いち、にい、さん」と数える。 わんにょむが自分から鼻を上げて歩き始めたら、ついていく。
最初は、なんだか「無駄に時間が過ぎていく」感じがしました。 1ブロック行くのに、これまで10分だった散歩が15分になる。
でも、3日目くらいから、変化に気づきました。
帰宅したわんにょむが、いつもより早くクッションに丸まる。 家の中をうろうろする時間が、明らかに減った。 夜ごはんを食べる前のしっぽの揺れが、心なしか穏やか。
「気のせいかも」と思いましたが、2週間続けてみると、その変化はけっこう明確でした。
散歩の距離は短くなった。 でも、わんにょむの「散歩から帰ってきた満足度」みたいなものは、ずいぶん上がった気がする。
「ちゃんと歩こうね」を言わなくなって、その代わりに、私の中で「ちゃんと嗅がせてあげよう」が増えました。
散歩って、私が思っているよりずっと、この子のためだった
カフェに来てくれる飼い主さんで、「うちの子、嗅ぐの好きで困っちゃう」と話す方がいます。
最近はその方たちに、「嗅いでる時間、そのままにしてあげるといいですよ」と言うようになりました。 「散歩の距離より、嗅ぐ時間のほうが、気分には効くみたいです」と。
その方たちは、「えっそうなんですか」と少し驚いた顔をして、「じゃあ、急かしてた私、悪かったかも」と笑います。
私もずっとそうだったから、その表情が、よくわかる。
「散歩は運動のため」だと思っていました。 でも、本当は、犬がその日のなかで「自分で何かを選べる、唯一の時間」でもあったんだ。
そう思うと、散歩中の景色そのものが、少し違って見えるようになりました。
電柱、街路樹、葉っぱ、自販機の角。 わんにょむにとっては、そこに「今日の世界の情報」が全部書いてある。 それを読む時間を、私は5秒ずつ、贈ってあげるだけでよかったんです。
明日も、わんにょむが立ち止まったら、心の中でゆっくり数えようと思います。 急ぐ予定があっても、たぶんその5秒は、この子の今日を作っている。
そう思って、今日も散歩に出かけます。