わんにょむが私の家にやってきたばかりの頃、私は「しつけ」という言葉が、ちょっとだけ苦手でした。

なんだか、厳しそう。 言うことを聞かせる、っていう響きが、楽しい暮らしのイメージと結びつかなかった。

(しつけって、必要なんだろうけど、なんだかしんどいよね。)

そう思っていたんです。

でも、わんにょむがソファに乗って、おもちゃをくわえて、私の前にちょこんと座る—— そのときに「おすわり」と言って、お腹が床についた瞬間に「えらい」と言って、おやつをひとかけ。 それを、なんとなく、毎日の遊びみたいに続けていました。

3週間くらいすると、わんにょむは「おすわり」の言葉だけでお腹をつけて、ぱっと私を見上げるようになっていました。

そのときのわんにょむの目が、なんていうか、すごく嬉しそうだったんです。


「言うことを聞かせる」じゃなかったのかもしれない

ある朝、カフェで、犬を飼っている常連のお客さんに、わんにょむが「おすわり」を覚えた話を嬉しそうにしていたら、その方がぽつりとこう言いました。

「うちは、しつけ、ほぼやってないのよ。」

聞けば、「厳しくするのもかわいそうだし、しつけって、犬にストレスかかるじゃない?」と。

私は、その瞬間、何も言えませんでした。 たしかに、「厳しくする」は犬にストレスかもしれない。 でも、わんにょむが「おすわり」をしたあとの、あの嬉しそうな目は、ストレスとは正反対のものだったような気もする。

(しつけって、本当に犬にとって「我慢」だけのものなんだろうか。) (あの嬉しそうな目は、いったい何だったんだろう。)

家に帰って、わんにょむが膝の上で寝息を立てているのを見ながら、ずっとそれを考えていました。

その夜、スマホで「犬 トレーニング 福祉 ストレス」と打ち込みました。


ある総説論文を見つけて、景色が変わった

検索の波を漂っていたら、2022年のある総説論文にたどり着きました。

そこに書かれていたのは、私が知らなかった事実でした。

トレーニングは、犬にとっての「環境エンリッチメント」になりうる

エンリッチメント、という言葉、最初は聞き慣れませんでした。 動物園で、退屈になりがちな動物たちに、おもちゃを与えたり、餌を隠したり、新しい刺激を作る——あれを「環境エンリッチメント」と呼ぶそうです。 動物の福祉を支える、大事な考え方として広く使われている。

そして論文では、犬にとってトレーニングが、こういうエンリッチメントの「ひとつの形」として機能している、と書かれていました。

なぜか?というところで、3つの理由が紹介されていました。

ひとつ、トレーニングは、犬と人の関わりの時間そのものを増やす。 ふたつ、犬ができる「行動の種類」を増やしてあげる。 みっつ、犬がおもちゃやパズルなど、ほかのエンリッチメントを使いこなせるようになる。

これを読んで、(えっ)と声が出ました。

「おすわり」「ふせ」を教えるのは、犬を従わせるためじゃなくて、 犬が「自分で選べる行動」を増やしてあげることだったのか。

そして、その教える時間そのものが、犬の脳にとってのごちそうだった。


ご褒美と一緒に教える、というのが大事だった

ただし、論文を読み進めていくと、ひとつ大事な前提がありました。

「教える」が脳のごちそうになるのは、「ポジティブ強化」を中心にしたとき、ということ。 できたことに対しておやつや声をかける。できなかったときに罰しない。 「うまくできた瞬間に、なにかいいことが起きる」を作ってあげる。

これだと、犬は「次もやってみよう」と前向きになる。 できる行動が増えて、人との関わりが楽しい時間になる。

逆に、できなかったときに叱る、強く叱責する、というやり方は、論文でははっきりと「福祉に悪影響」と書かれていました。 そういうトレーニングを受けた犬は、行動問題が増えやすい、というデータも紹介されていました。

つまり、しつけ自体が悪いんじゃなくて、「どう教えるか」が、すべてだった

わんにょむの「おすわり」のあとに私が「えらい」と声をかけてきたのは、たぶん偶然のいいことだったんだ、と思いました。


翌朝、ラテを淹れる前にその話をした

翌朝、その常連の方が来店した瞬間、私はラテを淹れる前に切り出していました。

「あのしつけの話、調べてみたんですけど」

「しつけ=厳しくする」じゃなくて、「ご褒美と一緒に教える」なら、犬にとっては逆に楽しい時間になるかもしれないこと。 そして、その時間が、犬の脳にとっての「考える時間」「新しい刺激」になっていること。

「だから、なにも教えないっていうのは、もしかしたら犬の脳をひまにしちゃってるかも」

少し言いすぎたかな、と思いましたが、その方は笑って「やってみよう」と言ってくれました。

数週間後、その方は嬉しそうに教えてくれました。 おやつをつまみながら「おすわり」を教えてみたら、ワンちゃんが目をきらきらさせて、なんだか前より楽しそうにしている、と。

「むずかしい『芸』じゃなくていいんだね」

その通りでした。 「おすわり」だって、「お手」だって、「待て」だって、犬にとっては「考える時間」「人と通じあう時間」。 それだけで、もう十分エンリッチメントなんです。


わんにょむが「おすわり」してドヤ顔する瞬間

家に帰って、わんにょむを呼びました。 「おすわり」と言って、お腹が床についた瞬間に「えらい」とおやつ。

わんにょむは、自分の仕事をやり遂げた人みたいな顔で、こっちを見上げます。 そのドヤ顔が、私はたまらなく好きで。

これまでは「言うことを聞いてくれてありがとう」くらいに思っていました。

でも今は、ちょっと違う見方をしています。 わんにょむは、私とのこの数秒の「教える時間」を、たぶんごちそうみたいに食べていた。 新しい行動を覚えるたびに、脳のどこかで、ちっちゃな花火が上がっていた。

私の方も、考えてみれば、わんにょむが「できた」瞬間がいちばん嬉しい。

「教える」って、犬と人がお互いに「次はなにする?」って言い合える、すごく対話的な時間だったのか、と。


今日も、3秒の「おすわり」を、ごちそうみたいに。

明日の朝、わんにょむのごはんの前、ほんの3秒だけ「おすわり」を頼んでみようと思います。 そして、わんにょむができた瞬間、いつもよりちょっと大げさに「えらい」と言ってみようと思います。

それが、わんにょむの脳のごちそうになるのなら。 そして、それが私のこの子への愛し方になるのなら。

「しつけ」と呼んでいた時間は、ほんとうは「一緒に遊ぶ時間」だったと、今は思っています。

カフェに来てくれるあの方のワンちゃんが、今日もきらきらした目で「おすわり」しているといいなと、私は静かに思いながら、明日の豆を挽いています。