「もう少し、子犬の頃に外に出してあげていれば」
わんにょむの人見知りが激しい性格を見るたびに、心の中でずっとそうつぶやいていました。
ある研究を読んで、その「もう少し」が、まだ続いていると知った話を書きます。
カフェの常連さんの後ろで、いつも隠れているわんにょむのこと
うちのわんにょむは、人見知りな子です。
カフェのカウンターの上にいるとき、常連の方が「やあ、わんにょむ」と顔を近づけても、視線をそらして頭をぐっと低くします。 撫でようと手を伸ばされると、こちらに体を寄せてくる。 吠えはしないけど、明らかに「ちょっと、苦手」な顔をするんです。
わんにょむは、ペットショップで子犬時代を過ごしてからうちに来た子です。 あとから知ったことですが、ペットショップのケージの中にいる時期と、いわゆる「社会化期」と呼ばれる生後3週〜12週の時期が、ほぼ重なっていた可能性が高い。
つまり、毎日いろんな人や犬や景色に触れる代わりに、決まったケージの中で、限られた数の人に触れる毎日を送っていたかもしれない、ということです。
うちに迎えてからずっと、わんにょむが人見知りをするたびに、心の中で(もっと早い時期に、いろんな人に会わせてあげていたら)と思ってしまっていました。
ペットショップで売っていたケージの中の写真を後から見て、(あんなに狭い場所にずっといたんだもん、そりゃ人見知りにもなるよね)と。
それでも、(もうこの子は、人見知りなまま生きていくしかないんだ)と、どこかで諦めかけていました。
「社会化期に失敗したら手遅れ」という言葉が、ずっと私の心に重く乗っていたんです。
「3〜12週で全部決まる」と書いてある記事を、何度も読んでしまった
しつけの本やネット記事を読むと、よくこう書いてあります。
「子犬の社会化期は3〜12週。この時期に多くの人や物に接触させないと、生涯にわたって人見知り・物見知りになる」
そういう記述を読むたびに、ぐっと胸が苦しくなりました。 うちの子がうちに来たのは4歳。 もう、何もできないんじゃないか、と。
カフェに来てくれる飼い主さんでも、同じ顔をしている方が何人かいます。 「うちの子、保護犬で、社会化期に何があったかわからなくて」 「子犬の頃、コロナ禍で外に出せなかったんですよ」 「親元から離されるのが早かったみたいで」
みんな、過ぎた時間に対する罪悪感を抱えながら、愛犬の人見知りや恐怖反応を見ています。
私もずっとそうでした。 (あの時期にもっとこうしてあげていたら) (私が出会う前、誰かがちゃんと社会化してくれていたら)
そう考えるほど、目の前のわんにょむを変えるためにできることが、少なく見えてきてしまう。
それでも、ある夜、ふと(本当に、もう何も変えられないんだろうか)と思って、検索バーに「犬 社会化 成犬 手遅れ」と打ち込みました。
「社会化期は12週で終わる」が、ぜんぶじゃなかった
たどり着いた総説論文(2015年に出たもの)に、思っていたのとは違うことが書かれていました。
確かに、子犬の社会化には3つの大事な時期がある、と書かれていました。
- 一次期(生後〜約3週):感覚は未発達、母親への依存。触れ合いの記憶が始まる。
- 社会化期(約3週〜12週、遅くとも14週まで):人間や他の犬、新しい物への印象が刻まれる。
- エンリッチメント期 / 若齢期(12週〜性成熟):いろいろな経験を続けて、世界を広げる時期。
ここまで読んで、(やっぱり子犬期で決まってるじゃん)と思いました。 でも、その後にこう続いていたんです。
社会化は「社会化期」の12週や14週で終わるものではない。「若齢期、そして成犬期まで、ずっと続く」と複数のデータが示している。
「ずっと続く」と書いてあったんです。
え、と読み直しました。
研究では、「社会化期に十分な接触がなかった犬」の話も出てきます。 1961年の古典的な研究では、14週前に人間に接触しなかった子犬は、後から人間と正常な関係を結ぶことができなかった、とされていました。 これが「14週まで」が広く信じられている根拠になっています。
でも、その後の研究では、もう少し希望のある話も出ています。
「人間と接触のなかった犬」の中でも、4ヶ月までは人間と暮らしていた犬は、それ以降のテストでも他より良い結果を出した、というケース。 さらに、社会化期を過ぎても、若齢期と成犬期に新しい経験を積ませることで、行動の改善は見られた、というデータ。
つまり、「14週ですべてが決まる」は、半分本当で、半分は過剰に単純化された言い方だったんです。
社会化期は、確かにとても重要。 でも、それで終わりじゃない。 4歳でうちに来た犬にも、続けて世界を広げてあげる意味は、ちゃんとあった。
しばらく画面を見つめながら、隣で寝ているわんにょむを見ました。
(じゃあ、私にできることが、まだあったんだ)
わんにょむの「人見知り」の前で、もう謝らないと決めた
次の日から、わんにょむと外に出るときのアプローチを少しだけ変えました。
無理に知らない人と接触させない。 でも、毎日少しずつ、新しい刺激は通す。
新しいルートで散歩する。 聞いたことのない音(電車の踏切、工事現場)に、距離をとって慣らす。 カフェに来てくれる常連さんには、「無理に撫でなくていいので、隣に座って静かに話しかけてもらえますか」とお願いしてみる。
そうしたら、何ヶ月かかけて、ゆっくりとですが、わんにょむが少し変わりました。
常連さんがカウンターに座ったとき、前は背を向けていたのが、まず体を向けるようになった。 撫でられるのは今でも苦手だけど、相手の指を匂いだけ嗅ぎに行く回数が増えた。 新しいお客さまが来ても、すぐに体を硬くしなくなった。
「人見知り」が完全になくなったわけじゃありません。 でも、「過去で全部終わった話」じゃなくなった。
社会化って、子犬期だけの「やり残しの宿題」じゃなかった。 わんにょむの今日の散歩、今日のカフェの空気、今日の常連さんとの距離感のすべてが、まだ社会化を作っている途中だった。
それを知ってから、わんにょむの人見知りを見るたびに、(昔の私のせい)(前の飼い主のせい)と誰かのせいにする気持ちが、ずいぶん軽くなりました。
代わりに、(今日もこの子の世界を、ほんの少しだけ広げていこう)と思えるようになりました。
「手遅れ」の前に、続けられる小さな扉が残っている
カフェの常連さんで、保護犬を引き取った方や、コロナ禍で子犬時代を過ごした方には、最近この話をします。
「社会化期は3〜12週って言われてますけど、研究では成犬になっても続いてるそうですよ」と。
その方たちは、最初ちょっと驚いた顔をして、それから(あ、まだやれることあるんだ)と少し肩の力を抜いて笑います。 私もずっとそうだったから、その表情がよくわかる。
罪悪感は、何もしてくれません。 過ぎた時間を返してもくれないし、今この子の前にある可能性も見せてくれない。
「子犬時代に間違えた」と思って動けなくなるよりも、「今日できる小さな一歩」を続けるほうが、たぶんこの子のためになる。
わんにょむは今日もカフェのカウンターで、常連さんに匂いだけ嗅がせてあげていました。 うちに来たばかりの頃のあの子なら、絶対にやらなかった行動です。
「12週で全部決まる」と諦めかけていた頃の私には、見せてあげたい光景です。
明日も、わんにょむの世界を、いっこだけ広げてみようと思います。 小さな扉が、まだちゃんとそこにあると、今は信じているから。