ソファに座って本を読んでいると、わんにょむがじっとこちらを見つめてくることがあります。

その目と合うと、なぜか自然に口角が上がって、肩の力が抜ける。

「気のせいかも」と思っていたあの感覚に、ちゃんと名前がついていた、という話を書きます。


わんにょむが目を合わせてくるあの瞬間のこと

うちのわんにょむは、私と目を合わせるのが上手な子です。

何かを欲しそうにねだるとき、不安そうに何かを伝えたいとき、ただ単に「そこにいるよ」と知らせたいとき。 どんな瞬間でも、まっすぐに私の目を見てきます。

その視線と合うと、不思議なんですが、私の方も「あ」と立ち止まる感じがあるんです。 スマホを見ていた手が止まる。 仕事のことで頭がいっぱいだったのが、ふっとほどける。 肩の力が抜けて、自然に笑顔になる。

「犬好きだから当然だよね」と片付けていました。

でも、最近よく考えるんです。 私とわんにょむがアイコンタクトをするあの瞬間、私の体の中で何が起きているんだろう、と。


カフェの常連さんも、同じ感覚を話していた

ある日、シニアの愛犬を連れた常連さんが、お会計のとき、こんなことを言いました。

「この子に見つめられると、なんかね、不思議とほっとするんですよ。 仕事で大変な日も、家に帰ってこの子と目が合うと、まあいいかってなる」

私は、(その感覚、私もわかる!)と頷きました。

カフェで何人もの飼い主さんから、似たような話を聞いてきました。 「うちの子に見られるとリラックスする」 「夜帰ってきて、あの目と合うと一日のストレスが軽くなる気がする」

これだけ多くの人が、同じことを言っている。 ということは、たぶん「気のせい」じゃないんです。

うちの子と目を合わせると、たぶん体の中で何かが起きている。 それがなんなのか、ずっと知りたかった。

その夜、わんにょむが寝てから、検索バーに「犬 目を合わせる オキシトシン 効果」と打ち込んでみました。


「犬とオオカミでは結果が違った」と書かれた、ある研究

たどり着いたのは、2015年に出た、ある研究の話でした。

研究者たちは、犬と飼い主のペアに30分間、自由に過ごしてもらい、その前後で両者の尿中のオキシトシン濃度を測ったそうです。

「オキシトシン」は、絆ホルモン、愛情ホルモンと呼ばれるもので、人間が誰かと親密に接した時に増えることで知られています。

結果、犬がよく飼い主を見つめたペアでは、飼い主のオキシトシン濃度がはっきりと上がったそうです。 さらに、その飼い主が犬への愛情表現(撫でる、話しかける)を増やすことで、犬のオキシトシン濃度も上がった。

つまり、見つめ合うことで、人と犬の両方の体内で愛情ホルモンが循環していた。 「気のせい」ではなく、本当に体の中で何かが起きていたんです。

私が(あっ)と思ったのは、その次の比較でした。

同じ実験をオオカミ(人に育てられて飼い主と暮らしているオオカミ)でやったところ、同じ効果は起きなかったそうです。 オオカミは犬と違って、飼い主を見つめる時間が短く、そのことで飼い主のオキシトシンも上がらなかった。

つまり、この「見つめ合いで愛情ホルモンが循環する」という現象は、犬が人間と共に生きるなかで進化的に育てた能力かもしれない、ということ。

ページを閉じて、寝ているわんにょむを見ました。

うちの子が私に目を合わせてくるあの行動は、数千年から数万年の家畜化の歴史のなかで、ちゃんと意味を持って育ってきた行動だった。

なんだか、急にあの目が、ずっと深いものに見えてきました。


わんにょむの目を、もっと意識して見るようになった

その夜から、わんにょむがこちらを見てくる瞬間に、より丁寧に応じるようになりました。

スマホを見ていても、わんにょむが目線をくれたら、画面から目を離してその目を見る。 ちょっとだけ笑いかける。 低い声で「うん、見てるよ」と言う。

それだけのこと。 でも、わんにょむと過ごすあの瞬間が、なんだかこれまでより大事な時間に感じられるようになりました。

オキシトシンが体内で循環している、という科学的な事実があるからかもしれない。 それとも、私自身が「この目はただの偶然じゃない」と意識するようになったからかもしれない。

理屈はわからないけど、結果として、わんにょむと過ごす毎日が、少し丁寧になりました。

カフェに来てくれる飼い主さんで、「うちの子と目が合うとほっとする」と話す方には、最近こうお伝えしています。

「それ、たぶん本当に体の中でなにか起きてるみたいですよ」と。

驚いた顔をする方が多いです。 でも、すぐに「やっぱり、気のせいじゃなかったんですね」と笑う。

私もずっと「気のせいかも」と思ってきたから、その表情がよくわかります。


今夜、わんにょむの目を、ちゃんと見たい

夜、家に帰ってきたとき、わんにょむは必ずドアの前で待っています。

私の足音を聞きつけて、しっぽを振りながら、目をまっすぐ向けてくる。

その目に応えるとき、私の体の中で、たぶん少しだけオキシトシンが動いている。 わんにょむの体の中でも、たぶん少しだけ動いている。

その小さな循環が、今日の私を支えている。

これまで気のせいだと思っていた「ほっとする感覚」は、ちゃんと体の中の現象だった。

明日も、わんにょむが私に目を合わせてきたら、ちゃんと目を合わせ返したいと思います。 その3秒、5秒の時間が、たぶんお互いの一日を、ほんの少しだけ整えてくれているから。