朝のカフェに、決まった時間に来てくれる常連のお客さんがいます。
シニアの愛犬と暮らしている、年配の女性の方。 いつものラテを淹れる時間が、私の小さな楽しみだったりします。
ある朝、その方が、ぽつりとこう言いました。
「最近ね、うちの子、食べ終わったあとに、なんだか動かない時間があるの。」
カウンター越しに、私はカップを置く手を、ふと止めました。
「気のせいかもしれないんだけど」と、その方は付け加えました。 「数十秒、ほんとに数十秒だけ。器の前に座ったまま、じっとしてる時間が、ちょっとだけ長くなった気がして。」
私の家のわんにょむは、まだ5歳。 ごはんは秒で食べ終わって、リビングに走っていくタイプ。 シニアの話は、私にとって「いつかの話」でした。
でも、その日その方が話してくれた「数十秒」が、なぜか、ずっと頭に残ったんです。
「気のせい」と片付けられない、あの数十秒
「量を変えたわけじゃないの」と、その方は続けました。 「銘柄も、時間も、変えてない。なのに、食べ方のリズムが、ほんの少しずれてきた気がする。」
口の動きが、ゆっくりになった気がする。 水を飲む量が、なんとなく増えた気がする。 食べ終わってから器の前で動かない時間が、ちょっとだけ長くなった気がする。
ぜんぶ、「気がする」だけ。
体重も、便も、特に変わらない。 獣医さんに行くほどでもない。
「でもね」と、その方は少し笑いました。 「毎朝、その『気がする』が積もっていく感じがするの。」
そのとき、ふと思ったんです。
(その「気がする」、なんなんだろう。)
家に帰って、ソファでわんにょむを撫でながら、ずっとあの「数十秒」のことを考えていました。 わんにょむは5歳。元気そのもの。 でも、いつかはあの方の犬と同じくらいの年になる。 そのとき私も、同じことを思うんだろうか。
カフェを閉めて、家に帰った夜のうちに、スマホで調べ始めました。
ある論文を見つけて、スマホを落としそうになった
シニア犬の栄養に関する論文を漁っていたら、2021年のひとつの研究にたどり着きました。
9頭のシニアビーグルと、24頭の成犬ビーグル、そして11歳の小型犬たちを集めて、ドライフードの消化のされ方を比べた研究です。
ポイントは、ドライフードを2通りの食べさせ方で試したこと。
ひとつは、いつものそのまま。 もうひとつは、水を含ませて、14〜16時間置いてから。
学者さんじゃない私にはちょっとむずかしい用語もたくさんあったんですが、結論はびっくりするほどシンプルでした。
同じドライフードでも、シニア犬と成犬で、栄養の消化のされ方には違いが出る。 でも、水を含ませて与えたとき、その違いがなくなる。
これを読んだとき、思わず(えっ)と声が出ました。
シニア犬の体は、若い頃と同じドライフードを食べていても、消化のリズムが少しずつ変わっている。 でも、フードに水を含ませる——たったそれだけのひと手間で、その違いが消える。 成犬と並ぶ消化率に、戻る。
カウンターであの方が話してくれた「気のせいの数十秒」が、私の中で、ようやく言葉に変わった瞬間でした。
論文の中には、もうひとつ気になる数字がありました。 シニア犬は、維持エネルギーがおおよそ2割ほど低くなること。 体は変わっていく。それは数字で確かめられている、事実でした。
「気のせいかも」と笑っていた、あの方の声を思い出しました。 気のせいじゃ、なかった。 あの方の目は、確かに犬の体の変化を見つけていたんです。
翌朝、ラテを淹れる前に、その話をした
翌朝、カウンターに立ちながら、その方が来るのを待っていました。
「あの話、調べてみたんですけど」 ラテを淹れる前に、思わず切り出してしまった。
「もしかしたら、フードに水を含ませるだけで、体が応えてくれるかもしれないんです。」
論文の話を、私なりに噛み砕いて伝えました。 14〜16時間の水浸しはむずかしいから、私が思いついたのは、もっと簡単な方法。
朝、いつものドライフードを器に入れる。 そこにぬるめのお湯を、フードが半分隠れるくらい注ぐ。 顔を洗っているあいだに、5分。 それくらいでも、表面が少し柔らかくなって、水分が一緒に体に入ります。
「いいわね、それなら明日からできるわ」とその方は笑ってくれました。
数週間後、その方は嬉しそうに言いました。 「数十秒、短くなった気がするの。」
「気がする」を、私たち2人で同じテンションで使った。 それが、なぜか、ちょっと泣きそうなくらい、おかしかったんです。
私のわんにょむにも、お湯を一杯
家に帰って、わんにょむのドライフードにもお湯を一杯入れてみました。 5歳のわんにょむは、別に消化に困っているわけじゃない。
でも、5分。
その5分のあいだに、わんにょむが器の前でうろうろする時間ができます。 私はその5分で、ヨーグルトを取り出して、コーヒーを淹れて、わんにょむの背中をちょんちょんと撫でる。
5分は、観察の時間でもありました。
今日はどのくらいでフードを覗きに来るか。 食べ終わったあと、すぐ立ち上がるか、ちょっと座っているか。 食欲があるか、ないか。
「観察」って言うと硬いけれど、結局はわんにょむを見る時間が、自然に増える。 たぶん、そのほうが大事だったんだと思います。
わんにょむはまだ5歳で、元気そのもの。 でも、いつかはあの常連の方の犬みたいに、食べ方が変わる日が来る。 そのとき私は、たぶんあの「気がする」を、わんにょむに対しても感じるんだと思います。
そのとき、お湯を一杯。 それで、体は応えてくれることがある。 それを知っていることが、私のなかの小さな安心になった気がしています。
今日も、ボウルにお湯を一杯。
シニアになる、という言葉は、何かが衰えていくことのように響きます。 でも、お湯を一杯のことを知ってから、少し違う感覚も持つようになりました。
体は変わっていく。 食べ方も、飲み方も、少しずつ。 そのリズムに、こちらが寄せていけることがある。
ドライフードに、お湯を一杯。 たぶん、それだけのこと。 たぶん、それくらいで、ちょうどいい。
明日の朝、わんにょむのボウルにお湯を注ぐ5分のあいだ、 私はあの常連の方を、きっと思い出します。 そして、いつかのわんにょむのことも、ぼんやり考えながら、ぬるめのお湯を注いでいると思います。